注意:以下の文章は、かなり過激な表現を含んでおり、関係者の方が目を通すと気分を害する可能性があります(本当のことを言われるとムカつくよね)。それでも構わない方だけ先にお進みください。
こんにちは、スケです。
本記事のタイトルは
【独学で早慶上智の理系制覇】教材の答えを配らない学校の教師はクソだから大丈夫【無能な教師の特徴】
ということで、はい、かなり挑戦的です笑。
そもそも、このブログに上げていいのかもかなり迷いました。本ブログは主に英語に関してがテーマであって、大学受験とか教育がメインテーマではないからです。
ですが、勉強という観点から見ると親和性は高いですし、どうしても言っておきたいことがこの日本の教育界に対してあったので、当ブログで物申しておきます。
いずれ、受験に特化したメディアも作ろうと思っているので、そちらが進み始めたらこの記事は移行するかもですが、とりあえず、です。
では語っていきます。
Contents
学校の授業は全捨てしたけど、早慶上智の理工学部に全勝した僕
英語、というテーマからさらに一つ抽象度を上げて、受験、勉強、という観点から自分のの話を少しすると、僕は小学生のときからサッカーをやっていまして、高校に進学するときも、選択の基準の半分以上はサッカーでした。
高校生に入るまで、世間にはこんなに多くの大学がある、ということを知らなかったですし、近い将来、自分が大学生になる、なんて未来は一ミリたりとも見えていませんでした。
数年後に迫る受験勉強、大学入試のことなんてつゆ知らず、将来のことなんて何も考えずに高校生になりました。
ところがどっこいです。高校に入ってみると、思いの外、「高校はクソ」ということに気づきました。
僕が中学生の時に度々見かけていた括弧付きの「高校生」は、まるで進研ゼミに出てくる主人公のように、朝井リョウの小説のように、キラキラしていました。
が、その実、高校生になってみると「大したことないな」と。
どの世界、業界でも、外から見える景色と中の実状は大いに異なるものです。
ちなみに高校生のときも、「大学生」って楽しそうだな、かっこいいな、と思っていたんですが、完全なる幻想でした。
「大学生」がかっこいいのではなくて、かっこいい奴がかっこいい、ということがわかったのです。ここでのかっこいいとは、単に顔が整っているとか、イケメンとか、そういうことを意味しません。
人生に目的を持っているとか、主体性が有るとか、色々ですね。この話は書くと長くなるのでまたどこかで。
で、高校生になってからの話でしたね。
高校生になってみると、早速「模試」というものを受けさせられ、受験とはなんたるか、その恐ろしさがこの身に叩き込まれまして、このままではヤバイ、と幸運にも高校一年の頃に危機感を感じることができたんです。
というのも、高1のときに初めて受けた模試の英語の成績が壊滅的で、それまでの自分からは考えられないような点数をとってしまったからです。
「できない」という状態が死ぬほど嫌いだった僕は、なんとかして英語を最強にしてやろう、そう心に誓いました。
その模試を受けた日、家に帰ってから「英語 偏差値 上げ方」などで死ぬ気で検索しまくり、なんとかその日のうちに、これをやればほぼ100%成績が爆発的に伸びる、という勉強法が完成したのです。
それからも、脳科学の本を読んだり、心理学、モチベーションなどの理論について自分自身を実験台にしてデータをとったり、3ヶ月で英単語を3000個覚え、偏差値を15上げた経験を他の科目に活かしていました。
そして、情報を集めれば集めるほど、成績が上がれば上がるほど、見える世界が広がれば広がるほど、「学校の授業って受ける意味なくね?自分で勉強したほうが10倍効率いいし、先生の話はつまらん、時間のムダ」という結論に至ってしまったのです。
だって、僕が学んだ原理・原則から考えると、どうやっても、学校の授業を受けることは大学受験での成功からは遠のく、というより最悪の解である、という考えが強化される一方。
とはいっても、さすがに当時の僕は内心ビビりまくってました。
もし授業をフルシカトして自分で勉強して、成績が上がらなかったらどうしよう、と。
その頃の自分は、当然大学受験の経験なんてないので、学校の先生に「学校の授業を受けないやつは大学受験うまくいかない」なんて言われると恐怖しまくるわけです。
どうしようどうしようどうしよう、みたいな。
その感情とは裏腹に、学校の授業を無視して自分のための勉強、模試の偏差値が上がるための勉強をすればするほど、学校の授業は楽勝になるし、定期テストは専用の対策なしでもかなりいい順位がでるし、模試の結果もどんどん上がります。
この間、クラスメイトはほぼ一人残らず、学校の先生の授業に「傾聴」し、板書を「丁寧に」取り、それは熱心に授業を受けていました、が、模試を受けるたびに彼らの成績は下がっています。
ここまでくると、さすがに我慢の限界でした。いくら先生に恐怖を煽られても、正しいものは正しい、ということで、学校の授業を捨てて模試の偏差値を上げるための勉強、すなわち大学受験の勉強と同義ですが、にコミットすることに。
高1のこの頃は、大学受験の意識はしてませんでしたが、模試の偏差値を上げたい、模試の学内順位を上げたい、学年1位を取りたい、という強烈なモチベーションがありましたね。
というわけで、そこから我が闘争が始まります。
僕の高校は、地方の自称進学校、というやつで、偏差値は50台半ば、進学実績も、大したことなかったです。
その環境から旧帝大・早慶上智を狙うことは、スラム街出身の子供がアスリートを目指すことと似ていました。(規模と程度は違うけど)
色々あったものの、結局、現役のときは後期で北大、一年間の自宅浪人を経て、国立には落ちてしまいましたが早慶上智の理工学部には全部受かった、ということで、まあそれなりの結果は出せたのかなと。
perfectではないですが、not badです。
それまでさんざん教師に色々言われてビビりまくっていましたが、僕は間違っていなかった、そう確信できるようになったのかなと。
やっぱり、世の中の学校教師で無能なやつって多いんだな、という僕の結論です。
しかも、無能なやつに限って出しゃばる。そのせいで一体どれだけの生徒が被害を被ってきたか。
僕みたいに、てきとーな性格なら大丈夫かもしれませんが、真面目すぎたり、変に素直だったりすると、クソな教師にあったときに、本当に成績が悲惨なことになるので。
真面目ゆえに損してしまう。そんなの悲しすぎる。
迷える人たちを救いたい、そう思ってこの記事を書いています。
では、無能な教師の特徴をいくつか。
教材の答えを配らない
はいこれ来ましたぁぁああああ!!!!!
お前は何がしたいねんって話ですよ。生徒の成績を上げたいのか、単に授業を受けさせたいだけなのか、どっちなんだよっていう。
教材の答え配ったら、授業を聞かない生徒も出てきますよ。でも、それでいいじゃないですかって話。
自分で勉強してくれる子なら、放っておいても後は勝手にどんどん進んでいってくれるし、サボってるやつなんかスルーでいいんですよね。
全ての生徒を導こうとしてもムリですよ、そりゃあね。ただ、正しい方向に進む生徒の数を最大化することはできる。
僕は、学校の先生ってもっと無責任になるべきだと思っています。
どういうことかというと、教師って、全部の生徒の問題に向き合おうとするんですよね。
授業につまずく生徒が一人でもいたら、その一人のために残りの39人を犠牲にするような。
いくら先生側が努力をしても、勉強をしない、授業を理解する努力もしない、そもそも話を聞かない、そういう生徒がいます。
そういう生徒にいくら時間が注いだって、ムダなものはムダなんですよね。
そういうやつって、一回痛い目見ないと変わりませんからね。
教材の答えを配って、サボる生徒がいるならそれで結構。いいじゃないですか。困るのは自分なんだから。ざまあみろって感じですよ。
こういうふうに、学校の先生も考えてほしいんですよね。
ちょっと話が逸れますけど、僕が高3のとき、クラスが違うんだけど合同で授業を受けていたんですが、ある女子が、
「全然勉強してなくてこの前模試(定期テストだったかも)でヤバイ点数とったらさ、お父さんが必死になって、今のウチでもいける大学あるからって深夜までリストを作ってくれたんだよね〜。なんか悪いなぁとか、心配させて申し訳ないなぁとか思ってぇ〜〜〜」
みたいなことを言い放ったんですよね。
で、僕は表面上はそつなく対応しましたけど、内心ブチ切れたかったですからね。
いや、お前の進路だぞと。お前の将来だぞと。てめえが決めないでどうすんのと。
後悔するのも自分、苦労するのも自分。なのにそんな無責任、他力本願でいいのか、と思ったんですよ。
こういうどうしようもないクズは、一回社会と世間の荒波に揉まれて、自分の人生に対してもっと真剣に向き合ったほうがいい、と僕は考えます。
異論がある方もいるでしょうが、現代の日本、あまりに恵まれすぎて、何一つ不自由ない暮らしができてしまっているがゆえに、堕落した放蕩息子、放蕩娘が生まれてしまったんだなぁと。
これも結局は、子供のために障害を取り除き、丁寧に舗装された道を歩ませた親の責任と言えるんですが、それにしても忍びない。
僕が彼女の親だったら、もう知らんって放っておきますからね。てめえの人生なんだからてめえで決めろと。俺は関与しないから、って感じで。
僕は放任主義、というか、単に最低限の事以外なにもやってくれない親のもとで育ちました。炊事、洗濯、送迎、などなど。
あのときは、なんでこんなこともしてくれないんだと親を恨んでいましたが、今となって考えてみると、あの教育方法のおかげで今の僕がいるなぁと。
話をもとに戻すと、学校の先生も、自分の人生に対して真剣に向き合ってない生徒に時間をささいでもムダなので、少数でもいいから、なにか野心や理念のある生徒が最大の恩恵を受けられる教育システムを作るべきなのでは、と思います。
要は、教材を配るときは答えも一緒に配れってことです。
ノート提出がある
はいでました。諸悪の権化その②
そもそも論として、授業を板書ってとらなきゃいけないんでしょうか?
ここを履き違えている人が多い。
生徒にとって、授業を受ける目的は、大学受験に成功することですよね。
そのために授業のノートをせっせと丁寧に取ることは必要ですか?
それとも、熱心に授業を受けるフリをして、先生の好感度を上げて内申点を上げるのが目的ですか?
先生にとって、授業を教える目的は、生徒が大学受験に成功すること、もしくは、自分の教える科目の内容を生徒に身に着けさせることですよね。
そのために、授業のノートを取らせることは必要ですか?
極論を言えば、授業を聞かなくても、出席しなくても、ずっと寝ていても、テストの点数がいい、模試の偏差値が高い、志望校に合格すればそれでいいんじゃないんですか?
僕は中学生のとき、まだ内職とか大学受験という概念が僕の中に存在しなかった時代の話です、学校の授業は7〜8割マジメに聞いて、ノートもキレイとは言えなくとも、一応のものは作り、それで学校のテストもそこそこできていました。
ですが、高校生になり、大学受験のことを意識し始めてから、学校の授業でノートを取ることって別に必要じゃなくね?とあるとき気づいてしまったんですよ。
だって、必要なことは全部教科書なり、参考書に書いてあるから。
だって、板書の内容が全部教科書に書いてあることだから。
だって、板書のクオリティが教科書に遥かに劣るから。
だって、教科書と参考書を読めばわかるから。
という感じで、真実を発見してしまいました。
今まで、学校の授業は聞かなければならない、ノートはしっかりと取らないといけない、そう洗脳されていた自分がいました。
が、僕は、嘘で塗り固められた学校教育から、たった一つの真実を見つけてしまったのです。
それはすなわち、
先生の話を聞く必要はない
ということでした。だって、全部教科書や参考書はそろってるし、読んでわからなかったらまた先生に聞けばいいから。
だからこそ、ノート提出を義務付ける授業は害悪なんですよね。
テストができればいいじゃんって話。過程なんてどうでもいいんですよ。結果だけが全て。
まあ、子供の世界では、過程こそが評価されるべきだと思いますが、高校生はもう子供じゃないんでね。立派な大人ですからね。
話がつまらない
これに当てはまる教師多すぎ問題。
正直聞いてられないです。お経聴いている気分になります。
で、まだ話がつまらないならいいですよ。変に干渉してこなかったら。
ただ、教師の話がつまらないから勉強が嫌いになるという子供も多いですし、そう考えると非常に罪は重いなと。
じゃあ面白い話、授業ってなんやねんってことなんですけど、別にオチのある話じゃなくていいんですよ。
日常と新しい知識を結びつけたり、エピソードを語るだけで十分。
特に、高校生なんて、大学に憧れを抱きまくってますから、「先生が大学生の時な、〜〜〜」なんて話をすれば全員飛びつきますよ。
少なくとも僕は、ちょっと話聞いてやろうかなって思いますね。
なんですけど、多くの教師は、雑談をしない。
雑談をしない
ずーっと、ダラダラ教科書に書いてある内容を復唱するような授業しかしない先生が多すぎるでしょってことです。
50分ぶっつづけで集中って、超難しいですよ。
ゲームだったり、スポーツだったり、遊びだったらわかるけど、授業で50分ぶっ続け…?
休憩ほしいよって。
教科書に書いてあることしか話さない
お前は教科書の部分集合なの?みたいな授業をする先生が超多い。
教科書の下位互換なのかな?
せっかく大学で色々学んだわけなんだから、知識の深淵とか、神髄的なものを見せてほしいですよね。
教科書に書いてある内容しか話さないなら先生いらないよって感じ。
授業中に課題をやると怒る
はいでました。
まあ、一万歩譲って、授業がつまらない、これならまだ受け入れられます。
授業をガン無視して自分で勉強すればいいから。
ただ、課題とか参考書をやろうとすると、途端に血相を変えて、「生徒の勉強を邪魔する」。
本末転倒以外の何物でもない。
今回記事に書いていることって、全部僕が経験したことなんですよね。
僕は、学校の教育カリキュラムに従っていたら成績が上がるどころか下がる一方だとわかっていたので、授業をガン無視して自分で勉強してました。
参考書も自分で情報を集めて選択して、これさえやれば偏差値上がる、と。
なのに、こうやって僕がせっかく勉強のやる気を出したのに、それを押さえつけてきたのが学校の先生でした。
もちろん、全員が全員そうではなかったです。
中には寛大な先生、「わかっている」先生もいて、そういう方はむしろ僕のために色々便宜を図ってくれたり、応援してくれたりしました。
ただ、全ての教員がそのような素晴らしい方ではなかった。
公務員の鏡というか、手続き主義というか、頭の固い先生には、僕のやっていることがどうも気に入らなかったようです。
当時の僕に政治的交渉能力とか、大人の対応をする力があったらまた話は変わったかもしれませんけど、まだまだ僕は尖っていて、間違ったことは大嫌いでした。
なんで正しいほうが折れないといかんの?と憤慨していたものです。
まあ、今もその思いは変わってないんですけどね笑
生徒を不規則に指してくる
思いつきでなにかをやる先生、います。はっきり言わなくてもクソです。
即興で問題を作ったり(しかもそれが間違っているから目も当てられない)、生徒を適当に指名したり。
全ての生徒があなたの授業を聞いているわけではないということをまず理解してもらいたい。
実は、生徒が当てられている順番には法則がある。それが見抜けるかな?
みたいな展開になって、そこからライアーゲーム的に「このゲームには必勝法がある」なんて授業が発展したら胸熱です、が、
そんな厨二病的先生だったら面白そうですけど、そんな人はいませんよねぇ。
授業を真面目に受けないやつは、課題を出さないやつは、大学受験も上手くいかない、とか言っちゃう
はい全く関係ないやつ。
むやみやたらに内職を否定する
まあ先生の気持ちもわかりますよ。
自分が授業しているのに、それをガン無視されて内職されたら、流石にむかつきます。
ただ、それが生徒の反応であり、その先生の授業に対する評価なんですね。
つまり、聞くに値しないんですよ。
僕は中学高校では一回も塾とか予備校に通わなかったんですけど、別に時間があったら行きたかったですよ。
なんでかって、塾の先生の授業って面白いじゃないですか。人を引き寄せる巧みな話術と指導科目に対する膨大な知識量、魅力的ですよね。
高3の夏休みに学校が、予備校講師を招いて短気夏期講座を開いてくれたんですけど、これに僕も出席しまして、超楽しかったです。え、こんなに面白くていいの?、みたいな。夢のような時間でしたね。
やっぱり、授業が面白かったら生徒も授業を聞くんですよね。当たり前ですけど。
僕は、あの予備校講師の方の授業を一言一句聞き漏らすまいと死ぬほど集中して聞いてましたからね。ノートとかメモもちゃんと取りましたし。
大学受験に必要ない科目を捨てるとと受からないとか言っちゃう
お前に何がわかるねんって話。
全生徒が授業をフルシカトして各自で勝手に好きなことやられたら学級崩壊するのはわかりますし、大学受験に使う/使わない関係なく授業を受けさせたい、そういう学校運営側の気持ちは痛いほどよく理解できます。
が、生徒からしたらそんなことどうでもいいわって思います。行きたい大学に受かったらオールオッケーですよね。
中途半端なプリント、板書しかしない
中途半端なプリントやら板書やら。
いや、それ参考書に全部書いてあるから!
授業を受けると余計にわからなくなる、成績が下る
僕の通っていた高校に、恐ろしく意味不明な数学の授業をする先生がいて、その先生のクラスだけ平均点が20点ぐらい周りより低かったことがありました。
授業を受けると余計にわからなくなるという、もはや先生という職業をやめろと思いますけどねw
そもそも受験のことあんまりよくわかってない
僕が高校生になるまで知らなかったことの一つに、
学校の先生って、受験に成功した人があまりいない、というか頭もあまり良くない
ということがあります。
先生って、1科目教えられればできちゃうんですけど、受験って、たくさん科目ありますよね。
私立だったら3科目、国立だったら5教科7科目ですか?
全科目できて、難関大に合格して、って人はまず先生になりません。
つまり、
前提: 受験に関しての、成功体験に乏しいがゆえに、的外れ的なアドバイスしかできない
これを念頭においてください。
受験で上手く行った経験もないくせに偉そうに指導しちゃう
これに尽きるんですよ。
受験に成功していない先生に、無理やり進路を決められても、はい???ってなりますよね。
俺は受験に失敗した、だからこそ君には失敗してほしくない。こういう選択肢もあるから、考えるだけでもどうかな?
こういうふうに言ってくる先生なら逆にめっちゃ信用、信頼しますけどね、僕は。非常に好感が持てますし、筋が通っているので。
というわけでいかがでしたでしょうか。
全部僕の実体験がベースとなっているので重みがあるのではないでしょうか。
僕は色々試行錯誤して、失敗も成功もたくさん経験してきました。
僕は、地元の小学校→地元の公立中学→県立高校→自宅浪人→早稲田理工学部、という進路を経て、教育現場を生で見てきました。
だからこそわかること、というのがあります。それをこの記事で皆さんに伝えられたら望外の喜びです。
以上!
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