こんにちは、現役理系早大生のスケです。
日本人にありがちな完璧主義について書きます。
要は、完璧にこだわると身を滅ぼすことになるよって話です。
ネイティブみたいに英語をかっこよく使いこなしたい、そう考えていた時期が僕にもありました。
発音がうまくいかない。ちくしょう、なんで両親は俺を帰国子女にしてくれなかったんだよ!
なんてイライラして。
でも気づいたんです。語学学習に完璧なんて存在しないってことを。たとえネイティブの人でさえも。
昔の僕(といってもここ1年の話ですが)は、英語をマスターして、お洒落な言い回しができたりしたらかっこいいなーって思ってました。
例えば、ミッション・インポッシブルみたいに、聖書を引用したり、
SUITSみたいに、映画を引き合いにして軽快にトークしたり。
そのためにめちゃめちゃ頑張らないとなーと自分にプレッシャーをかけていました。
ですが、気づいたんです。
そんな気負わすぎなくていいってことに。
英語なんて話せなくても別に構わないんです。
ちょっと単語を知っているだけでも、文章が読めるだけでも、
語学はあなたの世界を何倍にも広げてくれます。
老後の趣味として洋書を読んでみる、すごい素敵じゃないですか。
たまに孫が来たら、英語を教えたり、一緒に洋書を読んだり。
それで孫が英語にハマって洋書を読むようになったら、共通の話題ができます。
この前ハリー・ポッター読んだよ!、とか孫と会話できたら楽しすぎません?
海外旅行に行ったとして、英語を話せなきゃ困る、なんてシーンはめったにありません。
ジェスチャーに単語を添えるだけで、大体の問題は解決できます。
もちろんそれじゃかっこわるいなぁって思う人は、別で会話の練習をすればいいだけのこと。
最初のハードルは低くていいんです、というか低いほうが絶対いい。
小さいハードルを何個も設定して、それをクリアしていくほうが、達成感がありますし、学習も継続します。
だから完璧はやめましょうね、ってことです。あまり現実的じゃないし、人間のやる気の仕組みから外れているわけで。
僕は細かな知識を覚えるのが苦手で、例えば文法の細かい知識とか、正直面倒臭すぎてやってられないです。
こんなことやる意味あるの?って
確かに重箱の隅をつつくような知識も大切かもしれません、が、
で?
って感じです笑
TOEICの文法問題もたまに間違えます。
さすがにTOEICレベルの知識ならネイティブからしたら知っていて当然かも知れませんが、また困ったらでいいかなーって態度です。
穴があるから知識が完璧になるまで勉強しよう、とはならない。
こういう態度でいるほうが、精神的に楽ですし、気負わなくていいのでリラックスできて、結果的に脳みそに知識が入りやすくなる。
というわけで、語学学習において、知識のヌケモレがあるからといって、それを完璧になるまでやり続ける必要はないよ、その場で足踏みしないで次に進もうって話でした。
以上!
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